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朴裕河『帝国の慰安婦』批判(1) 〈拒絶するという序列化のロジック〉

 1、『逸脱する』というロジック

 序文に、>「『朝鮮人慰安婦』として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませることでした」とあります。

穏やかで、清冽な姿が思い浮かびます。と、しかし、読み始めて、間もなくには躓いてしまいます。引用されている文学作品と「歴史」との乖離が甚だしいために極めて早くに疑念を抱かせるのです。それは関節が脱臼するような不条理です。

 第一章、「強制的に連れて行かれて」いったのは誰か(P23

 端から、「慰安婦」の強制性の有無という主題に入ります。ところが、主題である「慰安婦」の強制性の是非という箇所にくると、急転直下、緩慢な婉曲語法に変ってしまいます。最も省察な磨き上げが期待されている主題郡「歴史問題」となると、なぜか、力点が移動されて焦点が隠れたり現われたりとすり替えられてしまうのです。何のために?

 この本の特徴は「文学」と「政治」が、まるで横糸と縦糸のように語られていることです。文学の描写を、あたかも「事実の堅い芯」でもあるかのように引用して情緒的に理念を語っています。

*以下に、引用されている主な作品を紹介します。

千田夏光従軍慰安婦』&『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』 

・古山高麗男『蟻の自由』 

森崎和江『からゆきさん』(朝日文庫)

田村泰次郎の小説「春婦伝」

 P60 >「そこに確かに存在した自発性を無視することはできない。」

と書き、すかさず巧妙に慰安婦は売春婦だったのだからと、これでもか、これでもかと事例を並べていきます。

 P62、>「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた『日本帝国の慰安婦』であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。」

 

 P74 >「社会の差別的視線にさらさられていた彼女たちが、誇りを感じたとしてもおかしくはない。…略…『慰安婦』という存在は、初めて自分の居場所を日なたに作ってもらえたことでもあったはずである。」

 

 P77 >「それはもちろん国家が勝手に与えた役割だったが、そのような精神的『慰安』者としての役割を、慰安婦たちは勝手に果たしてもいた。」

 他者と対話し、違和を発話して和解の道を探りたいと言いながら、言説は、目論見論的な考察が目立ちます。まるで未聞の概念が生み出されることを妨害するかのような強い表現です。これでは、専門的な知識のないものは煙に巻かれてしまうでしょう。

 

2.優越者の寛容とナルシシズム

 サブタイトルが「蟻の共感=憐憫と涙」であるとは象徴的です。(P87)

P89 >「僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います。…略…兵隊と慰安婦の出会いなど、蟻と蟻との出会いほどにしか感じられないのだ。また、僕と小峰との結びつきにしても、たまたま同じ目薬の瓶に封じ込まれた二匹の蟻のようなものではありませんか。」(古山高麗男「蟻の自由」『二三の戦争短編小説』)

読む者は、どこかに埋め込まれている母体のような郷愁というイメージが呼び起こされ、そうして、人間の官能的な悲しみに寄り添うことになります。

しかし、憐憫の情とは、警戒するべきナルシシズムです。なぜなら、その疾しい良心が見咎められると忽ちのうちに差別に転じてしまうからです。

 「文学」とは、言葉を通じて無限な意識の根源に触れようとする営みであると思います。人間を叙事詩的に描写し、倫理的目的を内包させて「歴史」を語るのも文学です。ですから「文学」を専攻した朴氏にとっては積極的な問題構成であるのでしょう。

 朴氏の手法とは、仮装の中核を軸にしながら悲しみを露わにし、読み手の共感をメンラコリーに吸収していくというレトリックであるように思います。

さて、私は、ここに優越意識を根に持った「恩恵的関係意識」というものをみます。「~てもらう」や「~てくれる」は、恩恵の受け手が抽象化されているために恩恵の与え手は、受け手の上位とされるのが常です。それは、「~てやる」と言っているのと同じなのです。それは「優越者の寛容」とよぶべきものであり自己瞞着が背後に見えます。

 世界の秩序は、いつも「内と外」、「上と下」、「男と女」、「敵と味方」、「マジョリティとマイノリティ」の間の差異を誇張することによってジェンダーの階層秩序を打ち立ててきました。社会学者である朴裕河氏が差別の構造的暴力に無頓着であるとは残念無念です。序文にある麗しい呼びかけの声は、偽装のヴェールだったのでしょうか?象徴的比喩的な表現である〈虚〉を〈入れ子構造〉のように交差させる手法は最後まで続きます。まことに巧みといえます。

 P92 >「目の前にいる男性は、あくまでも〈同族としての軍人〉であって、〈憎むべき日本軍〉ではない。彼女が軍人を自分と変わらない〈運命の者〉として共感を示すのは、彼女に同志意識があったからであろう。」 

 

P93 >「慰安婦と兵士が共有する憐憫の感情も無化されることはなかった。国家の抑圧の中で持っていた共感や憐憫の記憶を無視したまま、抵抗や憎しみの記憶だけが受け継がれてきたのである。」 

これらは、『証言 強制連行された朝鮮人慰安婦たち』(挺隊協)から引用しての朴氏の解釈です。史料は所謂《オーラルヒストリー》です。それらは「記憶を歴史にする」ために書かれた「口述歴史」であり、貴重な証言ではあるのです。しかし、不注意な人が選択して類推するとき、しばしば陥穽の危険があります。なぜなら〈史料的蓄積〉が未だ不十分なために客観的事実とは云いがたいからです。

『証言』集からの引用は多数であり、骨を折って認識を示されたようですが、しかし、それらの文脈は、無意識的にも虚偽・錯誤になってしまっています。特殊的なものと一般的なもの、経験的なものと理論的なもの、客観的なものと主観的なものの境界が消えているのです。

《事実》である証明のためには、原理と事実の間を分析して検証しなければ客観性があるとはいえません。そのためには、原理のための証拠も手に入れて、さらに洞察して仮設の再構築をしなければならないはずです。著者は、その経験的資料から「仮説」を立てていますが積み重ねによる相互的な交渉による「事実の確定」までは、及んでいないのです。

私は、歴史記述は実証主義でなければならないとは考えていませんが、しかし、被植民者が自らを晒しての証言、また、文学作品中のセリフを〈歴史の事実〉であると情緒的に書く手法には憤懣やるかたありません。

ことさら左様に、朴裕河氏の限界や偏見が露呈されています。まるで新自由主義史観論者に擦り寄った考察のように見えてしまいます。

 

3.天皇国家主義とリベラルな立場からの頽落

 ところで、本の扉を開く前に、表紙の《帯》を読んだとき、仰け反ってしまいました。

>「本来、フェミニズムとポスト・コロニアリズムに基づく『国家』批判だったはずの運動を、批判対象を『日本』という固有名に限定したことで、慰安婦問題を〈男性と国家と帝国〉の普遍的な問題として扱うことを不可能にした」

 と書いているのです。

 その表現は短絡的に飛躍したもので、政治という修羅の欄外に居たものが、ストレッチ無しで突如アウトボクシングに出てきたようなものです。すでに、この帯の一文から、朴ユハ氏の「歴史意識」が透けて見えてくるようです。

 『第二章』P131からが、真骨頂の主張であるように思いますが、この辺りから「事実」を踏み越えて自説を巧妙に説明していきます。

 歴史問題ばかりでなく、司法の問題、国際環境、韓・日・米間の問題へと紆余曲折して横断しますから、読むのは厄介になります。困難というのは難解なためというのではなく、混乱と錯綜のためにです。とりわけ、「日韓併合条約」、「日韓基本条約」に関する歴史の記述にいたっては目に余る惨状です。

 自身が主題とする「ジェンダー」、「ポストコロニアル」理論の破たんを見てしまい唖然としました。具体的に示しましょう。

P129 >「日本が謝罪すべき対象も、まずは彼女たちではないだろうか。性や姓名を〈天皇のために〉捧げなければならなかった朝鮮の女たちに。」

と書いていたものが、第4部P283以降、変説します。

P299 >「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」と、或る慰安婦が話したとして非難し、さらに、

P300では、 >「屈服させたい―ひざまつかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験による強者主義でしかない。」

> 「それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造というべきだろう」

> 「しかし強者主義的欲望から自由にならないかぎり、かつての帝国の欲望を批判できる根拠はなくなってしまう。」 

 今日のジェンダーや人種、セクシュアリティの問題を、ポスト冷戦の国際社会における「新植民地主義」「構造的暴力」「従属論」「経済的物質的富の不均衡な分配」の観点をもたずに感覚的に言説するのでしょうか?

P299に引用されている慰安婦天皇批判とは、たしかに無秩序な疾風怒濤というものでしょう。日本人の多くは困惑するばかりと思います。しかし、この咆哮のような叫びは、少しも形をととのえないうちに砕け散り奔流するように発話されたものであったと、私は理解したいのです。

慰安婦」は日本の敗戦後、遺棄されたままであり、また自国の政府から保護されなかったために、1990年まで半世紀近く、生存するための必要の急迫のもとに立たされ続けたのです。慰安婦が、世界に対する配慮や世話などという〈世界との関係性〉から遠ざけられていた背景というものに思いを致すべきではないでしょうか?バランスが失われるほどまでに心情が硬化するとき、一般に、人間には選択の自由がありません。

 以下は、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』「自由、決定論、二者択一論」から引用です。

人間は因果律により決定づけられている。選択の自由に関する問題は、無意識的な力がわれわれを決定づけるということを考慮しなくてはならない。

〈筆者のまとめ〉いかに人間が決定因子である本能と社会的な力との闘いにおいて弱いものであるかを認識しなくてはならない。(人間は、背後で働く諸力に無頓着であるために、自分の欲求を動機づけるものに気づかず『自由』への幻想をもつのだ。

彼女たちは下降し下降し…絶望の深淵に足場を築くしかなく、ついにその垂直面に突きあたったとき自らの「経験」をむんずとつかまえて起き上がってきたのです。そうして私たちに見直しと決断を迫ってきました。朴氏にとって、「わかる」とは、言葉の上で肯定される常識や良識や教養なのでしょうか?「慰安婦」が歴史の裂け目から叫ぶ熱情に揺さぶられて文化的実践に導かれた知識人は多いのですが、朴氏は大衆的感情を嫌悪しているかのように見えます。

 ポストコロニアル理論を確立したサイードは、しばしば「誰が語る力をもっているのか、それは何についての語りか、またいかなる時に語れるのか」と云いました。「慰安婦」の発話とは、まさに求められているものです。

ドストエフスキーの小説は、貧しい人が、破滅を覚悟しても枠を超えて「つつましさ」から変貌していく様をドラマティックに描いていますが、古今東西の人々が感銘を受けています。が、朴氏には、そのような「感性」が欠如しているようです。グラムシは、よく「愚かにも知識人は往々にして《感じもしないで知る》ことができると思い込んでいる」と痛烈な分析をしていますが、朴氏には「健全な核」というものがやや欠けているように思います。

 つまり朴氏は「慰安婦」の話に耳を傾けて寄り添い、>「《男性と国家と帝国》の普遍的な問題として」>「渾身の日本版」を書いたといっていますが、実際には、ただ深淵をまたいだにすぎないのです。あたかも自分の愛を「慰安婦」に向けることから取り上げ、ごく僅かな「慰安婦」と親密になったといい、私だから打ち明けられたといっているのですが、実は、羨望と功績を得ようとしたように思われます。

 P13 >「本書は図らずも、そして遅ればせながら、彼女の思いを代弁する本になりました。」

と書いるのですが、掴み取ろうとして熱心になったのは、朴氏自身が、そこから何かを手に入れることができるだろうと欲望したからに他なりません。「慰安婦」への配慮、尊敬、責任、知識を著者自身のほうへ向け変えさせようとしたのです。これは、意識的になされたものではないでしょうが、各所に無意識の〈潜在する敵対意識〉を読むことができます。事実、多くの分析には他者の尊厳への尊敬が欠けてます。

>「『帝国の慰安婦』たちのなかには日本兵と『愛』と『同志意識』で結ばれていた者もいた」

>「愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである」

 

 P145 >「その慰安婦は、行き違いがもとで、愛した日本兵と別れてしまったという昔の恋愛談を話してくれた。彼女に『ナヌムの家』が居心地悪かったのは、そこが愛の記憶をも抱き留めてくれる空間ではなかったからだろう。」

そうして、そのような慰安婦が呟いた「美しい記憶」を「挺対協」や「ナヌムの家」は、抑圧し忘却させたと主張しているのですが、針小棒大がすぎる表現です。

つまり、歴史の全体的傾向を把握することを放棄して「疑似経験主義」的な方法でセンチメンタルに《ノイズの消去》《再生産される記憶》《圧迫の矛盾》などと題して書かれているのです。それらは、「社会史」を「経済史」から切り離して分析しているという《知》の分裂です。

朴裕河氏は、共感を期待して、ある部分の事実を強調し、現実の課題(それは、緊急避難という切迫するもの。時間の猶予が無い!)から故意に目を逸らそうとしています。このような文学的読解は多分に「つつましい人々」を目くらませにしてしまうことに成功してきました。

 さらに、具体的に示します。

P303  >「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった。」

P307  >「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」

 私は、朴裕河氏に問いたい。そうして、明確な返答を欲します。

 【ポスト・コロニアリズムと、

                       天皇ファシズム批判に繋がりは無いのか?】

 日本のポストコロニアリズムの論者の多くが、戦前と戦後の継続を保証した要因として象徴天皇制を指摘していることは周知のことです。 私は、以下に、日本の知識人の「天皇制批判」を引用して反駁します。

 歴史家〈尹健次〉

> 「戦争遂行の最高責任者が何の責任も取ることなく戦後も「象徴」として君臨したことが問題の核心であり、その亡霊のもと一木一草にまで宿る天皇制」

日本の敗戦は、多くの日本人が慙愧の思いで迎えたのですが、直後より日本の知識人は、次々と天皇の戦争責任を追及していました。

 丸山真男が著した「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号)では、

>「選択の方向をひたすら権威の決断にすがる忠実だが卑屈な従僕」

 である日本人は、あくまで被害者になりすまして事実から逸れようとしているとして、国民を叱咤しました。そうして、1956年著『戦争責任論の盲点』では、躊躇なく断罪しています。

> 「天皇のウヤムヤな居直りこそ戦後の『道義頽廃』の第一号であり、やがて日本帝国の神々の恥知らずな復活の前触れをなしたことをわれわれはもっと真剣に考えてみる必要がある。」

 丸山の痛烈な天皇ファシズム批判が、戦後のリベラル左派の運動に大きな影響を与えたとは知られていることです。

 1946年、天長節の日、東京大学総長〈南原繁〉は、後ろめたい感情を抱きつつも、勇気を奮って演説しました。(以下、『祖国を興すもの』から一部抜粋)

>「御宗祖に対し、また国民に対し、道徳的精神的御責任を最も強く感じさせられるのは陛下であると拝察するのであります。」

 また、同年春、京都大学教授であった〈田辺元〉は、『政治学の急務』にて、醒めたしたたかさを秘めつつ論じています。

>「天皇こそ戦争に対する責任の帰属中心であると外国人が思惟するのは、決して理由なしということは出来ない。」

 遅れて、〈吉本隆明〉も『文学者の戦争責任』(1956年)にて丸山真男を非難しつつも「天皇ファシズム」を痛烈に批判しています。〈加藤周一〉も1946年3月「天皇制を論ずー不合理主義の源泉」(『大学新聞』:財団法人大学新聞社 3・21懸賞評論当選作)を著しました。ペンネームではあったのですが、天皇軍国主義日本を猛然と攻撃しました。

 1946年、目覚めたとはいっても、その思想の内実はまだ脆弱なものであり、《自由と必然性の問題》、あるいは《自由意志と決定論の問題》を自己矜持としていたとは言い難かったかもしれません。しかし時代の束縛の中で、リスクを覚悟しての言動であったとは確かなことと思います。

 

 何故?「ある場合には非難し、 

        他の場合には非難しないのが合理的なのか」!

 

朴裕河氏は、日本近・現代の「文学」を研究されたようですが、先入観から偏見をもって「天皇国家主義批判」を読まれているようです。

 第2部「植民地」と朝鮮人慰安婦〈第2章〉『新しいアジアのために』―敗戦70年・解放70年 297~

ここに、朴裕河氏の「歴史認識」が凝縮しています。

 P305 >「運動は、救われるべき慰安婦たちの多くを置き去りにして、日韓が(後にアメリカも)連携した〈左翼〉運動が、日本の右翼を制圧した形となった。つまり、〈世界を変えるため〉という日本の運動は、左右対立を激化させ…略…民族・国家対立を深化させてきたのである。」

 

 P142 >L9朝鮮人慰安婦は、まぎれもない日本の奴隷だった。」

L10.11>「しかし、慰安婦=『性奴隷』が、〈監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された〉ということを意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような『奴隷』ではない。」

 P142の記述の分裂は目を覆いたい惨状です。《必ずしもそのような》の一句によって説明できるものではありません。

また、天皇ファシズム批判に執着」したために、「運動」は失敗してきたのだと誹っていますが、それは、大いなる誤謬といわなくてはならなりません。

 ここで私の私見を述べますが、昭和天皇の「戦争責任」は免れないことだと考えています。<ポツダム宣言>全文を読むと分かります。

日本は、「天皇の国法上の地位を変更しないこと」を条件にポツダム宣言受諾の回答を発したのですが、実は舞台裏では、連合国のイギリス、オーストラリア、ソビエト連邦中華民国天皇の戦争責任を追及し一部は死刑にすべきと主張していたのです。

 日本の帝国主義は19世紀後半以降、アジア太平洋に多大な災厄をもたらし、被侵略国、被占領地では粘り強い果敢な抵抗運動が繰り広げられました。時の「天皇」が批判されるのは、まさに当為と思います。

 朝鮮の分断(38度線)は、日帝降伏前後の米•ソ対立からくる米国の対ソ封じ込め政策の最初の展開で決められたことであり、朝鮮は日本のために犠牲になったのです。

                                        (参考:藤村信『ヤルター戦後史の起点』岩波書店p321

ところで、朴裕河氏は、「運動」批判のための反論資料として、〈柄谷行人〉『個人を共同体から解放し、帝国=コスモポリスの人民とする』から4行のみ抜粋しているのですが、読んでも脈絡がわかりません。

 『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』では、「資本主義」批判を雑駁に横断して書かれています。そうして時に「資本主義」を批判してはいますが、実は、日本近代の「資本の原始的蓄積(原蓄)過程」について疎いように見えます。

日本近代は、欧米の外圧を受けつつ急速に膨張していく諸矛盾を外へ転嫁するために露骨な侵略主義に走っていったのです。「江華条約」によって道を開かれた初期居留商人は、世界市場と朝鮮市場の間に存在する価格体系の差を利用して巨利を得ました。その利潤が、第一銀行などを通して日本に還流され〈原蓄過程〉を促進していく一要素になりました。

ことに産金国である朝鮮の金は国際価格に比べてはるかに安価に日本に搬出されたのです。日本の「金本位制」の基礎とは、朝鮮の金と日清戦争による清国からの賠償金によって確立されたのであり、天皇はその侵略主義のシンボルとされていたのです。著者は、日本の「近代史のなかの天皇」を俯瞰しておられないようです。

 日本の素朴な人々は、雲の上を仰ぐように幻視の世界の天皇に囚われてきました。それは、民衆の遠隔願望(困窮すると天子さまの救いに頼る)を巧みに利用する支配者の叡智というものでした。明治維新尊王攘夷には「天皇」というシンボルが必要でしたし、また明治政府が、自由民権派の主張を崩していく場合も「内に民権を争うよりも外に国威を張れ」と云い、天皇をシンボルにしたのです。

ところで、知る人ぞ知るですが、そもそも「万世一系」というのがフィクションです。実は「大化の改新」以降、何度も血筋は入れ替わっています。

 第4部P283以降、散発的に「帝国主義」「資本主義」について言説されていますが、関係の齟齬が気になります。そこで少々、マルクス資本論』第一巻第七編〈資本の蓄積過程〉第23章)を参考にして、【近代資本主義と帝国主義戦争】について概説したいと思います。

資本主義が膨張していき剰余価値が吸収されていくとき、その深淵に「歪曲、痙攣、爆発といった、一言でいえば極度の暴力の運動」を導入していくためにブルジョア階級は比類のない隷属状態をうちたてていき、窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大されていきます。こうして19世紀後半、世界帝国主義の時代は「資本の蓄積経済自体の諸矛盾」を外へと転嫁するために侵略戦争へと向かっていきました。

後発である日本帝国主義は植民地拡張を急ぐために、ネイションとしての結束の強化をはかり、上からのナショナリズム操作「逆転した愛国主義自らのネイションに対する愛情を、他国への敵対意識に転化させてネイションとしての結束意識を強化する)をいっそう推進していきました。急進的な社会変革のための願望のシンボルとして「天皇」は必要とされたのです。

 被侵略国、被占領地の人々は日本帝国主義の甚大な残虐な暴力と横領に苦しんだのです。それは塗炭の苦しみでした。その責任を最高責任者である時の天皇に問うのは至極当然と思います。

ところで、朴裕河氏自身は、〈天皇ファシズム批判〉の運動を批判しているのですが、自身は、昭和天皇の「戦争責任」について一切言及していません。不可思議なことです。

 

 5.意識性の萌芽と「カタルシス」的契機

 この本では、「韓国挺身隊問題対策協議会」をいたるところで痛烈に批判しています。が、無理やり闘士にされて利用されてきたかのように書くとは侮辱であるように思います。

167 >「韓国社会や支援団体は、あるがままの当事者よりも、当事者を通して、独立的で誇り高い朝鮮やその構成員としての自分たちを見出そうとしてきた。」

「記憶の闘いー韓国編」では、後述されるP303>「脱帝国主義をかかげながら、脱国家主義にはならなかった。」 P307、>「日本の支援者にそのことが見えなかったのは、天皇ファシズム批判に執着したためではないだろうか。」との間に混乱・錯綜という矛盾があります。

※読者には、この乖離が見えにくいと思われます。そこで少々脱線しますが説明します。本書ではP303に僅か5行に抽象化されて記述されている「脱帝国主義」と「脱国家主義」と「脱軍国主義」。ここまで読むと、著者は、そもそも、その概念を把握しているのかどうかと疑問に思えます。

  既存の理論を混ぜたり、異なったパターンに配列し直して機械的に併存させているだけで主軸が見えてきません。あえて苦言を呈しますが…その中身は〈ジャガイモ袋〉です。

  反日帝国主義」(『大日本帝国』における植民地主義覇権主義膨張主義軍国主義)と書くならば〈時代・地域〉を限定していて理解できますが、「脱帝国主義」をかかげるならば連なって「脱国家主義」が実現できるはずとは暴論でしょう。朴氏は、「国民国家」を悪と捉えているのでしょうか?

   国家主義とは、社会的な差別構造をともなうために保守的イデオロギーを指す場合が多いと思いますが、実は、〈時代と地域〉によってさまざまに解釈されていて多義化しています。ベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体』のように世界システム論から「巨視的歴史理論」をもって観察すると、理念としてのナショナリズムは必ずしも否定されるものではありません。

 ことに被植民地国では、帝国主義支配への抵抗運動を展開していくとき、自らのネイションに対する愛情を高揚させて、 一体感をもつ「我々」を強調して《自前の国民国家の建設》をめざすことになります。つまり、「解放」運動では、国民国家という枠組みでの〈民族の自立〉が強調されていくことになります。この場合もまた「逆転した愛国主義に転化されて駆け上がっていく危険があります。

帝国主義の時代のナショナリズムは、「異質」な存在をあぶり出し、そこに対立・差別・排除意識を煽っていき、その対抗意識によって自国の統合を強化しようとしました。非常に危険な様相です。しかし、今日の国際社会も依然として「国民国家」という境界線を前提にして成り立っています。

朴裕河氏のいう国家主義とは「世界政府」を羨望しているのでしょうか?1980年代、国際政治では《覇権による安定》論が模索されましたが、冷戦終結後には《力の均衡》観念も退行して、今日ではアメリカが紛れもない〈帝国〉としての相貌をそなえています。現在の国際政治においては、経済が一つの市場に統合されていっても、政治権力は多元的なので一元化されることは有り得ないことのように思います。あらゆる社会階層を横断する共属感情を形成する共同体は理想ですが、まだまだバラ色の夢でしかないように思います。

 朴裕河氏の「慰安婦」を支援する運動体批判(あまりに雑駁な!)は、ひたすらに、>「日本政府が作った基金への批判と攻撃」を続ける《挺対協》批判のために書かれていると思われますが、ついでに挺対協と連携する日本の革新左派批判もしています。

P305 >「〈帝国に抵抗した左派〉の運動であり続けるとしたら、日本の右派を相手にしたこの運動は、おそらく永遠に終わらないであろう」

 P297~の【第4部 第2章】は、朴裕河氏の主張の「まとめ」のようですが、何を許容し何を排除するのかが見えてきません。今日の猖獗にまで極めつつある日韓の「歴史問題」への提言には遠いようです。

ところで、さらに、著者は、慰安婦は「韓国」の自尊心のために利用されてきたのだとも書いています。朴裕河氏の運動批判を読むと、「慰安婦」とは押しつぶされて諦念している無力な人とでもいいたいようです。が、事実は違います。

慰安婦は「儒教社会」という時代の制約・束縛のために困窮し、諦めと、忍耐と、沈黙を強いられてきたのですが、1991年、金学順さんが外皮を爆破させるように告すると、その後、多くの「慰安婦」が名乗り出ました。

今日では「慰安婦」は自己主張しています。その眼差しは、人間がいかにして呪縛から「自由」へ変革しうるかを示してくれました。長い歳月の実践の中で鍛えられて学習し、何度も「慣習の転覆」をくりかえして覚醒したのだと思います。

 搾取され困窮するなかで、人は受動的・消極的に運命を受動するばかりではなく「反抗」するようにもなります。緊張から弛緩へ、弛緩から緊張へと運動する中で、被抑圧者の意識は訓練され結集され、そうして組織していくようになると思います。それは、生命衝動の激烈さとの《対決》という心理的体験を通じて獲得されていくものです。

 とはいえ、その意識性の萌芽を意識性にまで成長させるためには、何らかの意図的な働きかけがなくてはなりません。支援する「運動体」の助けがあればこそ、今日があると思います。朴裕河氏は、《挺対協》を教条的で排他的な集団とみなしての強く批判していますが、独善的であるように見えます。(参考:向坂逸郎マルクスの批判と反批判』)

 慰安婦」の世界への呼びかけとは、まさに実践のなかで練り上げられていったものだと思います。「つつましさ」から解放された表現が突きつけてくる言葉を前にして、私たちは謙虚にならねばならないと思うのです。が、朴裕河氏は、彼女たちに敬念の情を抱いているようには見えません。

 

 6.日本の「戦後的思考」とジェンダー

 自らの〈女性性〉〈旧植民地出身者〉であるという当該性を前提としての語り。その被植民地国出身の学者が「慰安婦」が拒絶するものを拒絶するとは、《序列抑圧化》のロジックいうものです。その具体的な文脈は、一見リベラルな立場にみえるのですが、実は正反対の効果をもたらしてしまいます。

 実はこのような構図は、リベラル・左派がいつも志向する「和解」路線であると思います。日本のマスコミで時代の寵児になった「韓国人」知識人には共通点があるように思います。

額の下に静かな情熱を燃やしつつ気概にあふれている眼差し。時には「私だからこそ知る」というように真実の欠片を暴露してみせたりします。リスクを冒しさえするのですが、論争においては決して硬直化せず、穏やかであることが肝要です。何よりも世俗のさまざまな大義名分に品格よく加担することが求められているようです。

 シニカルな言い方をしてしまいましたが、戦後民主主義左派の間に生じた「特有のもつれ」というものを表すために誇張した表現になりました。

 日本の「戦争責任論」、「歴史問題」をめぐる思想的対決は、今日では〈歴史修正主義者〉対〈リベラリスト〉間という単純な話ではなくなってしまいました。

 それぞれの陣営内においても齟齬が露わになり、それぞれがもはや一枚岩ではないようです。そのような分裂・亀裂・危うさのなかでは奇妙な転倒も起きていて、何と、ナショナリスとリベラリストの間で、場合によっては連携が成立することもあります。

 両者とも欺瞞を回避するために、集団ナルシシズムによって握手しているに過ぎないように見えます。その連携の背景には、まだ「徹底した献身と自己犠牲を強いるのか」という共通のジレンマがあるのでしょうか。

 70年代、大学紛争が終焉したあと【反差別闘争】が始まりましたが、良心ある日本人でも、初めての被差別者からの告発・糾弾にはたじろぎました。

当人は真面目に献身しているつもりなのに、さらに過剰な自己犠牲を強いられるのです。そのような過酷ともいえる要求の前で多くの人が挫折し退散していきました。

このような喧噪とは、批判的な自己意識の未熟、共同主観性内部での相対的な葛藤というものであり、〈運動体〉ではありふれたものなのですが、エリート意識の強い若い知識人は、早々に断念して立ち去っていったようです。

 それは、自分自身を〈支配的な知識集団〉から自律的に独立していると信じていたからではないでしょうか?

沈思黙考すると、やはり自分の知性には資格があるのだと思い直して本来の研究生活に戻っていったようです。しかし、そもそもが道徳性の過剰を求めていた人々だったのです。忸怩たる疾しい良心を抱きながら、それぞれの道に分岐していったのですが、後に、「敗戦後論」(加藤典弘)論争が「ねじれの議論」として火花を散らすことになりました。

 『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』が、日本のリベラル左派の〈ねじれ〉のなかで登場してきたことを注意深く読んでいきたいと思います。

 

※今回が、初めてのブログデビューです。

時間の事情が厳しいために、次回、続きを書きます。(すでに書き下ろしていますが、推敲の時間がありません。)

 そこで、次回のサブタイトルを挙げておきます。

 

・「アジア女性基金」の満身創痍と驕慢について

話してはならないこと、聞いてはならないこと

今日の大沼氏の言説は、日本帝国主義植民者と被植民者の対話を「所与の関係」として見ていると分かります。それは、優越意識を根に持った「恩恵的関係意識」というものです。

 

・攪乱された「国際法上の議論」と「国内法上の議論」

 

・非歴史的な「ジェンダー誤答」

(1)作家田村泰次郎の小説を引用しての朴裕河氏の解説にみられるジェンダー誤答」。次回、ていねいに紐解いて書きたいと思います。

(2)「戦時性暴力」をとらえるときの脱歴史化について考えます。「家父長制における女たちに対する男性支配の構図を解体するために女たちは闘ってきた」という普遍性のもとに、「差異化」(階級、人種、民族、国籍、宗教、地域etc)してはならないという、或る種の「ジェンダー」理論に異議を唱えます。「序列化」とは排除につながりますから私も反対しますが、しかし「帝国」の概念のなかでは、酷薄な事実があります。

新自由主義グローバリゼーション下の過酷な現状にあっては「権力の植民地性」を分析する必要があると思います。『贈物』として「女だから好きなように」貪り食ってよいという陰鬱な過酷な計略は、そもそも原始共同体に遡る起源をもっています。『贈物』とは、欲望や権力の記号であり、財貨が結実する原理であると認識すれば、資本主義の構造的暴力はまだまだ猛威を振るい続けると思います。

 

・『戦場の狂気』―二重化三重化されていく「偏執狂的妄想」

歴史修正主義者の「良心の呵責」と「罪責感」

*償われるべき被害とは何か!